安田昌弘
- Nina Simone「My Baby Just Cares for Me」(58年)
- Edith Piaf「La Vie en Rose」(46年)
- The Beach Boys「Don’t Talk (Put Your Head on My Shoulder)」(66年)
- Marvin Gaye「Feel All My Love Inside」(76年)
- Björk「Violently Happy」(93年)
- Muddy Waters「I Just Want to Make Love to You」(54年)
- Etta James「I Just Want to Make Love to You」(60年)
ラヴ・ソングって供給過多だと思うんです。世界の人々が必要としているラブ・ソングの数より、世界に出回っているラブ・ソングの方が絶対に多い。なぜか「愛」は全人類に共通する普遍的なテーマで、それゆえに商業的にも売りやすい、とされているのです。でも、愛し合っている一人一人の状況に合わせてラブ・ソングが選べるかというと、多分そういうことでもない。つまり、ラブ・ソングで語られる恋愛物語は型通りで、それほど多様ではないということ。なかでも多いのは、「片思いもの」と「失恋もの」なのではないか、という(根拠のない)仮説から、今回は敢えて「恋愛中」のうたを集めてみました(というか愛し合っている最中のうたですね)。聴いていると多幸感に包まれたり、目の前が薔薇色になったりします。
愛し合っている最中っていうのは時間が止まるようです。「永遠が一瞬で、一瞬が永遠で」みたいな非科学的な魔法を、ラブ・ソングは普通に使います。例えばニーナ・シモンのうたは「今」以外のことに全く触れてませんが、ピアフは「一生(la vie)」と「死ぬ(mourir)」と刹那的なイメージを持ち出して、時間に抗っています。ビーチボーイズに至っては「今晩は二人で永遠に生きられる」と見事に時空を捻じ曲げてますね。マーヴィン・ゲイはむっちゃ現在進行形ですし、ビョークはくどいくらいハッピーを繰り返します(もっともこれはドラッグのうたにも読めますが)。
最後の二曲は、シカゴのチェスにいたウィリー・ディクスンが作曲した同じ曲。マディー・ウォーターズが、「洗濯や料理なんかしなくていいから(後回しにしていいから?)、今すぐサセろ!」と迫るのに対して、エタ・ジェームスは「洗濯も料理もしてあげるから、今すぐサセて!」と媚びてます。愛し合っている最中にも、ジェンダーというのは付きまとうわけで、もしこういうのが「愛」の「普遍的」なかたちなんだとしたら、少し考えさせられます。
荏開津広
- Prince Buster 「Rough Rider」(68年)
- Wild Bunch 「The Look of Love」(88年)
今回、Discothequeのテーマがラヴ・ソングということで、DJとして自分がプレイしているセットのなかから選んでみよう、と。
まずは、プリンス・バスターの” Rough Rider”を紹介します。プリンス・バスターは、スカ/ロック・ステディ/レゲエのシンガーで、ものすごく歌が上手いわけではない。そのかわり、歌のトピックや作り方が“ストリート”だなぁ、と思わせる魅力がある。” Rough Rider”は、一般的には騎兵隊の俗名ですが、ここでは昨晩一緒にベッドにいた女の子のこと。DJのプレイの仕方が悪いと、聞きとることができる人はダンスするのをやめるぐらいあからさまでばかばかしいような歌詞。でも、この曲はプリンス・バスターのヴォーカルの合間にDJ(ヒップホップでいうMC、ラッパー)がマイクを持って、即興でお客さんにラップというか、話かけられるような構成になっています。というか、MCのお喋りがあって初めて完成するようになっている、このままでは未完成なものともいえる。昨晩のベッドのなかでの経験についての歌詞があからさまで工夫がないのも、ダンス・フロアでDJがマイクでお喋りをつけくわえるのを前提にしているからです。
もう1枚は、ワイルド・バンチというグループの最初で最後の12インチです。イギリス、港町ブリストルのヒップホップ・クルーで、後にプロデューサーになったネリー・フーパーのような人もメンバーでした。ここに写ってますね。残りの3人はマッシヴ・アタックというグループになって90年代から現在まで活動をしています。この”The Look of Love”という曲はダスティ・スプリングフィールドのカヴァーで、これは特にジャズやダブがプレイされるクラブで日本のDJもずっとかけている。いかにも60年代な歌とメロディを、思いきってリズムだけのトラックに乗せたものです。あなたの目や笑顔に愛が見える、言葉はいらない、という歌詞で、原曲は有名ですが、ラヴ・ソングとして名曲かどうかよりも、ある種の雰囲気を作り出すのに長けている。マッシヴ・アタックはトリップ・ホップのグループとして有名になりましたが、トリップ・ホップも、クラブにある種の環境を作り出すための音楽です。つまり、ラヴ・ソングとして切実かどうかよりも、その歌詞とメロディが環境や空間を作り出すために使われている、ワイルド・バンチがカヴァーするのにこの曲を選んだのもそうした理由によるんですね。
今回、自分のDJセットから曲を選んでみて、当たり前だけど、ラヴ・ソングといってもダンス・フロアという非日常への脱出のきっかけということが第一義にくるんだな、と。
(ここまではあの日のDiscothequeで実際に話したことで、残りは家に帰って振り返ってみて思ったんですが)そして、“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”という言葉があるように、優れたダンス・フロアという場には、個別の、個人的な愛ではなく、フロア全体を包み込むラヴ、多幸感があります。ダンス・ミュージックにおけるラヴ・ソングのありかたって、そういうことと関連があるのかな、とふと思いました。
岡村詩野
- ルースターズ「恋をしようよ」(80年)
- John Lennon & Ono Yoko「Kiss Kiss Kiss」(80年)
- Lou Reed「Vicious」(72年)
- Lou Reed & John Cale「Nobody But You」(90年)
- Arthur Russell「Love Comes Back」(90年)
- Rufus Wainwright「Foolish Love」(98年)
- Bob Dylan「Just Like Woman」(66年)
ゲイ、同性愛者の(ものと思しき)ラブ・ソングを集めました。かつては異性愛を歌うものより、どこかに世間に対する引け目、負い目、おおっぴらにできないことへの寂しさ、哀しさを感じさせるものが多く、それが転じてルー・リードの「Vicious」に見られるように異常性愛を綴る場合も少なくなかったのですが、90年代後半に登場したルーファス・ウェインライトは、デビュー時からゲイであることを公言し、そんな自分の愚かな恋を歌の中で茶化して自嘲してみせました。しかも決して前衛的な作風ではなく、朗々と言葉を発して歌い上げる昔ながらのヴォーカル・ミュージック・スタイル、ある種保守層に支持されているだろうクラシカルなフォーク、ポップ・スタイルで。それがいかに勇気のいる作業だったかは想像に難くありません。ラブ・ソングの歴史はあの曲でまた新たな潮流が生まれたと断言できます。ディランのこの曲は、片桐ユズルさんによる想像力豊かな翻訳の勝利でもありますね。
ところで、今回はかけませんでしたが、ロイド・コール&ザ・コモーションズの「Are You Ready To Be Heartbroken?」(84年)と、小沢健二の「いちょう並木のセレナーデ」(94年)は、失恋する心の準備を問うた曲。以前、そのロイド・コールに取材した際、「失恋の歌こそが僕にとっての本当のラブ・ソング。なぜなら成就した心境を歌ったものよりはるかに美しいから」と話してくれました。私もまったく同意です。
ちなみに、最初2曲は安田先生と荏開津さんの話の流れを受けて、堂々とセックスのことを歌ってもそれはラブ・ソングになりえる好例としてその場で思いついてかけたものです。“やりたいだけ”を連呼する曲に「恋をしようよ」というタイトルを与える大江慎也のセンスに脱帽。やりたいだけなのに、それもまた恋。男性はとことんロマンティックなのですね。